親愛なる母へ

ここで、いま、


はじめてわたしの
家族の話をしようと思う。



かなりプライベートで



重い話になると思うので



覚悟してね。笑





わたしの1番古い記憶


1番古い記憶は


保育園で預けられた時に
母と離れるのが嫌すぎて
ギャン泣きした記憶。



母と離れることでの



不安や寂しさ。



知らない人たちとこれから過ごす不安と

一人にされる不安が


すごい大きかった記憶がある。



わたしは

じつは生まれてこのかた、

父親にあったことがない。



わたしが生まれてまもなく
離婚をし、別居。


そのあとは会っておらず、


育児金などの振込も途中でなくなり、


音信不通になったそう。

(育児金をいまからでも払え!と思う笑)



だから

どんな顔で

どんな人か

全然しらない。

物心ついた時から


会いたいと思ったことがない。


存在として認識してなかったし


気にしてなかった。





小学生の頃、

まだ家は裕福でよく旅行に行った。


ホテルに泊まり、おいしいごはんを
満腹食べさせてもらっていた。




たくさん食べてたから

まあ小学生のときは太ってたよね。笑






絶大なる母の存在



母がすべてで、母が怖かった。



小さい頃、保育園時代かな。



逆らうことなんてできない。




怒らせたら必死で謝る。




お味噌汁こぼしただけで
すごい怒られる。



失敗してはいけない。



夜中にいきなり起こされて
怒られたことに対して

「反省してるのか!」


と突然体を揺さぶられて
問いただされる。



私はこれが怖くて怖くて

夜も眠れなかったこともある。



小学生のとき、

千と千尋の神隠しが公開され


映画のチケットを取るのが困難なほど
大人気だったが

母はどうにかチケットを取ったらしく

一緒に観に行ったのだ。


でも私は、


カオナシがこわすぎて
映画を見たくなくて

「トイレに行きたい」

とウソをついて


映画館を出た。

母にものすごく文句を言われながら。


そのあとも
「あんなに苦労してチケット取ったのになんなの?!」と


悪態をつかれ責められた。



母が怖くて逆らえず、
恐ろしかった。



今思えばやべー母親。

わたしだったら
こんな親になりたくないって思う笑。


毒親ってやつだったのかな。


小さい頃のわたし、本当に
よく頑張ったと思う。




そのあと、

母のお母さん。

つまり

わたしにとってのおばあちゃんが
認知症になってから、

私たちの生活は一変する。



認知症の祖母との暮らし



精神病棟に預けられる祖母を

かわいそうだと言って

我が家に引き取った。



最初は祖母と暮らせることが
嬉しかったし、



わくわくしながら一緒に寝たことを
いまでも覚えている。




でもだんだん、


家庭は崩壊していった。



認知症の人と暮らしたことがある人は
わかると思うが、



本当に何度も何度も



同じことを繰り返し言う。

さっき言ったじゃん。の繰り返し。


「何度言えばわかるの?!」

声を荒げる母。

イライラや、怒りは伝染し、

わたしも祖母に対して

いつのまにか苛立つようになっていた。


そして

母は鬱病になった。


毎日寝たきり。


仕事も行けなくなり、


仕事を辞めた。


わたしがまだ
小学生4〜6年だったときだ。(多分)


いまでもトラウマとして
残ってるが、


学校から帰ってきて、


「おかえり」


と言ってくれない母。


ずっと布団の中で寝たきり。


母が、寝たきりで


何もしてくれない。


何も答えてくれない。


そんな母に対して


小学生ながらに

苛立ちを覚えて、


帰ってきて寝たきりの母を見るたびに

イライラして、母を責めた。

「何で寝てるの」

と。

いまでも

寝てる母を見るとイライラするのは
この記憶のせい。





そして

家がどんどん貧しくなっていった。



仕事できない母の代わりに

祖父の代わりとして


たくさんお世話になったおじいちゃんがいた。



その人がいたから

あのとき生きられたと思う。






本当に

「家賃が払えなくて追い出される」
と、



小学生の時

「家から追い出されるんだ」

と、この家は本当にお金がないんだと、


子供ながらにどんどん


家にはお金がないことを

頭の中に植え付けられていった。




早く自分で稼がなくては。
と無意識に思っていった。




中学生になって、


状況が変わったかどうか
あんまり覚えていないけど



相変わらず母は、寝たきりだったと思う。




その時、中学校には給食がないから

お弁当を用意しなければいけなくて

センスのない可愛くないお弁当を
持っていかなければいけないことが

たまらなく嫌だった。


「母の弁当は汚いからいやだ。」
なんて

言えるはずもなく、

持っていくが
本当にいやでいやでしょうがなかった。

みんなの前で
食べられるようなお弁当ではなかった。


ご飯の真ん中に
冷凍のハンバーグだけが
埋め込まれてるような
お弁当。

「そのお弁当どこがいけないのか?」

なんて思わないでほしい。


当時の家には
清潔感さえなかった。



初めての反抗期


中学生の頃に

反抗期を迎えた。

ずっと怖かった母に


初めて


逆らった。


逆らえてしまったから

逆らえるのだとわかって、


母に対して抱いていた
恐怖心がなくなり、


よく喧嘩をするようになった。


そして


お金のないこの貧しい家に
生まれたことに対して


母を責めた。


「お金がないこんな家に
生まれて来なければよかった。」


そんなことも度々口にした。




自分で稼げる時代



高校に入って

バイトができると知って


わたしは週5で

部活をしながら働いた。


そのお金で
身の回りの自分の世話をしたので


自分で稼がなければならない。

自立しなければならない。


と無意識に思いこんでいった。


実は、
この頃の母との記憶は
ほぼない。



部活して
働いて
恋愛して
勉強して



やっと身の回りの世話ができる
お金があることに対して


喜びさえ感じていたと思う。



同時に

お金があれば
しあわせになれるとも

思い込んでいった。


祖母の死


高校1年の時、

祖母が亡くなった。

中学生の終わりの頃、

祖母はやっと
施設に入ることができた。


家庭もなんとか
改善に向かい始めていたと思う。


母も仕事を探し始め、

家族としての関係が
修繕されてきた時、


祖母が亡くなったことで、

母の鬱病は改善されていった。


母と対等に
コミュニケーションが取れるようになったのもこのくらいの時期だったかな。





大学生時代


大学に入って


バイトにのめり込んだ。

居酒屋で16時〜朝5時まで
働いて

毎日毎日働いて

なににお金を使ってたのか
覚えてない。

でも働けば働くほど
稼げることを覚えた。



大学時代は、

人間関係がうまくいかず

肋間神経痛になったり

ストレスで中耳炎になったり、

人間関係でひたすら悩んで


自分の外見にも悩んだ。


その頃の母との記憶は、

さほど濃いものはなく、

母が就職したいところへ

チャレンジする姿を見て応援したような気がする。

大人になっていくにつれて

母との関係性は良くなっている。

しかし、

母が親として、母親らしくあったのは

まだこの先のことである。

というのも、

金銭的にまだ裕福とは
言えない時代だったため、


バイトしまくっていた私に母が
金銭的に頼ることが多かったのだ。


母は完全に私に依存していた。


2人だけで暮らし、

距離が限りなく近い。

幼い頃からではあるが

母親として機能はしてなかったと思う。

この頃は金銭的に依存され、

それがすごくいやだったことのを
いまになって振り返ると思う。




大学卒業

大学卒業して2年ほど経つが

最近の記憶なので鮮明に覚えている。


この記憶を振り返ってみる前に

今の気持ちを出しておこうと思う。



私の人生と母の人生は

全く違うものだということを

ここでハッキリさせたい。

当たり前だろ!とか
そういうことではなく、


私自身、どこかで

母を養っていかなければ
と思っていた。

今実家を出てるので

また一緒に暮らそうとか
できたらと思うようにしていた気がする。

というのも

母とまた一緒に暮らしたいと
思っていなきゃいけない。

「いい娘であるべき。」

「親孝行すべき。」

「ここまで育ててきた親に感謝すべき。」

と思わなきゃいけない
思い込みによって



本当の心の奥ではそんなこと

1ミリも思ってない自分を
隠していた。


そう思えない自分は 「悪」である。

と思っていた。


それは

世間的に

周りからみたら

そうなのかもしれないけど




「私は私の人生を生きたい。」




だから
母は母で勝手に生きればいいし、

私も私自身の為に生きる。

母のためにと言っていたけれど

それはエゴで、

また暮らしたいとは
1ミリも思ってなかったことに気がついた。
(気がついていたが、それを認識して表に出すことが怖かったし、それはダメなことだと思ってたから言わなかった)



母を養っていかなくていい。

母は母でどうにか生きてくれ。

私に頼るな。

もう好きに生きてくれ。

私はあなたのためには生きないよ。


もう終わりにしよう。


あなたは、私に依存してたし

私もあなたに依存してた。

あなたがいなかったら

わたしは生きて来られなかったし

あなたが絶対だったから

ここまで来れたんだよね。


ありがとうね。

ここまで育ててくれてありがとう。


だからもう大丈夫。

もうお互いがお互いの人生を生きようよ。


わたしはやりたいことやるし

あなたもやりたいことやって生きてよ。


もう気にしなくていいからさ。


愛してるし大好きだから。


でももう大丈夫。



ありがとうありがとうありがとう。



本当に過去は辛かったし

もう絶対×10000000000000000

に、戻りたくないけど


あなたのおかげでいま

わたしはここにいる。


だからありがとう。




私は小学生の頃に

本当はあなたに甘えたかったけど

甘えられなくて寂しくて

悲しい思いをしたことを許すし、

家に
お金がなくて

お金をたくさん稼いで

たくさんお金に囚われたおかげで

いまお金が1番じゃないことに気づけたし、


もう数えきれないくらい
たくさんいろんなことがあったけど

あなたも自分を許してあげて。



お互い前に進もう。


繋いだ手を離しても


私たちは親子だから繋がってる。


大丈夫。


ありがとう。


もう絶対大丈夫だから。


手を離すね。



ありがとう。



産んでくれてありがとう。


許しと無限の愛をあなたに。


親愛なる母へ。


愛してる。


ありがとう。


産んでくれてありがとう。

育ててくれてありがとう。

これからもよろしく。

kanami










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